大工になったのは20歳の時でした。
高校を卒業し、18歳で電気工事会社に就職したものの、同じ現場で働く「大工」という職業に惹かれ、転職を決意。
その決意から約20年もの月日が流れました。
実は、私の父も大工で、伯父も大工でした。
それも私が大工になりたいと思ったことと、もしかすると関係していたのかもしれません。
しかし、「親には頼りたくない」の一心で、誰にも相談することなく、大手メーカーさんからのお仕事をする大工として就職をしました。
右も左もわからぬままのスタートでしたが、いい親方、いい環境に恵まれ、その会社で現代風の建築に携わっておりました。
最初に修行した親方の下で2年程働いたころ、親方から別の親方を紹介されました。
新しい親方は日本古来の家が得意で、また、新たな勉強の機会を設けさせて頂きました。
新しい親方はとても厳しい人でした。とにかく毎日毎日怒られてばかり。気づいたら私は「スミマセン」が口癖になっているほど(笑)
でも、その親方がとても厳しく指導してくださったからこそ、今の私があるのでしょう。
その厳しさの中でも一度たりとも辞めたいと思ったことはありませんでした。
むしろ、その仕事の楽しさ、味わい深さを、しっかりと我が身に叩き込んでくれたのでした。
26歳の時、自身の結婚を機に独立を決意しました。
ある程度学んで、自分でもやれるだろうという気になっていましたが、独立の壁は厚く、高いものでした。
技術力はあっても、営業力もツテもない。
自分で仕事をいただくことの難しさを痛いほど感じました。
そしてそこから辛く、厳しい日々が始まるのでした。
だからと言って、家でじっと待っているわけにもいかない。
お昼時の時間をめがけて、友人大工の元に差し入れを持っていき、一緒にご飯を食べ、情報収集をしたり、勉強をさせてもらったり、「何か仕事はないか?」と尋ねて、仕事を頂いたりしていました。
毎日がただただ必死でした。
常に自分の中に危機感があり、どうしよう、どうしよう。自問自答の日々です。
体重も激減。頭を下げ、現場を周り、それでも家族の人生を背負っているという責任感が私を動かせました。
ある時でした。
「来た仕事は、なんでもやろう」心にストンと落ちるものがありました。
その時から、なぜだか仕事が安定してきたのでした。
きっと自分でも気づかないうちに、プライドが邪魔をしていたのでしょう。
プライドを捨てたその時から、みるみるうちに変わっていくのがわかりました。
もし、独立してすぐに仕事の依頼がたくさん来ていたら、天狗になって、今の小出建築はないかもしれません。
あの時、仕事が一切なかったからこそ、自分のプライドを捨てることができ、自分と向き合うことができ・・・
そして、「人の繋がり」「人の大切さ」「ご縁」という言葉、ありがたみを知ることができました。
だからこそ、これからも私は「人と人との繋がり」「ご縁」を大切にしていきたいと考えています。
それは小出建築の代表として、従業員へと伝えていかなければならないことだと感じておりますし、
小出建築にお関わりいただける全ての会社様、お客様に、対しても、この想いを伝えていかなければならないと思います。